盛岡(岩手県)から・・・

“3月11日”からひと月が経つ間、何度となく、このページに何か書こうとしてみました。
ところが、あまりの現実の厳しさに、悲しくて、くやしくて、もどかしくて…複雑な気持ちをどの様に表現すればよいのか、その度に分からなくなってしまいました。あえて言うならば、正に「言葉が無い」というのが一番近い感覚です。

そういった想いを、絵で表現することを試みるのが「画家」というものなのでしょうが…今、最も強く感じている憤りのようなモノは、私には描けない類のもので、描いたとしても私の絵ではないように思います。
ならば、これまで長年描き続けてきた、安らぎや希望を感じて頂ける絵を描いて、被災地の方々や、恐らく日本人として私と似た心情を抱える方々に観て頂こう――と、そう考える方が自然な気がするのです。

震災後、多くの人達と同じように、「今の自分にできることをしよう」という言葉が、常に頭を巡っています。
各種の義援金に協力しながら、少しずつ気持ちを繋いでいたのですが、やはり絵を通しての取り組みを始めるまではどうも先に進めない気がしてなりませんでした。

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さて、これまで何度も東北・盛岡や仙台で展覧会を開催して頂き、足を運ぶ度に現地の皆さんに温かく迎えて頂きましたことは前回も書きましたが…
初めて盛岡を訪ねた折、現地ギャラリーの方に、天然記念物でもある「石割桜」を見に連れて行って頂きました。

大きな花崗岩の割れ目から、立派な桜の巨木が力強くその幹を伸ばし、枝々を広く張っています。
目にした時の驚きは今でも忘れませんが、とにかくその生命感溢れる枝ぶりに感銘を受け、大いなる元気をもらったこともあり、その後盛岡へ行く度にこの巨木を訪ねていました。

一時、話題になっていた「ド根性大根」などの”頑張り系植物”の元祖のような存在であり、その姿は正に今必要な復興へと向かう為の力や、日本人――なかんずく東北の方々の粘り強さと苦難に負けない根性の象徴のように思えて、私の中では、被災地の方々へ想いを馳せる度に浮かんで来るイメージ画像でもありました。

そんな気持ちもあり、当初から再びあの桜に会い行き、描いてみたいと願っていたのですが…
緊急物資すら行き届かず、ボランティアの方々が入ることさえ難しいという状況が続いておりましたし、不急の用件で出かけて迷惑になるうちは待っていようと思っていました。そして、普通に”足”が確保できることを確認して、訪ねることに致しました。

盛岡は、実際まだまだ余震も多いものの、街の表情は落ち着いているように感じられました。
商店や商業エリアでは節電などは行われているものの、至る所に「団結して乗り越えよう」という主旨のポスターや垂れ幕などが目立ち、被災地の不屈の意志と辛い状態にある方々への思いやりが静かに伝わってきます。

幹の周囲は約4.6m、樹高約11.0m、樹齢350~400年のエドヒガンザクラです。
岩の裂け目からたくましい幹が、正に岩を割ったかのように生育している様子がお分かり頂けますでしょうか?
1923年(大正12年)には国の天然記念物に指定されています。

“ここからあまり遠くない宮古や釜石の彼等はどうしているだろう?気仙沼のあのご夫妻は?”など、お顔が浮かぶこちらの方々のことが、少なからず頭をよぎりながらも「石割桜」をスケッチしておりました。
絵には、もう少し手を入れて完成させ、なるべく早く当ホームページにアップして皆さまに観て頂きたいと思います。
そして今後、この絵を使って本当に微力ながら、具体的な支援の活動をスタート出来ればいいなと考えてもおります。

あと二週ほども経つ頃には、この「石割桜」も、被災地各地の桜も満開を迎える時節となります。
寒く厳しかった北の被災地に、暖かな春の息吹を運びこんでくれることを願ってやみません。

笹倉鉄平

2011

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