”トリ”と言えば、伊藤若冲

寒い毎日が続いていますが、皆さん、風邪などひかずにお過ごしでしょうか?
つい先日新しい年が明けたばかりだと思っていたら、もう一月も半ばを過ぎようとしています。
この調子で厳しい寒さもさっさと過ぎて、春が駆け足で来てくれたら・・・なんて思ってしまいます(笑)。

さて、今年2005年の干支は「酉」。
「トリ」と聞いて真っ先に頭に浮かんだのが、「伊藤若冲(イトウジャクチュウ)」という画家の描いた鶏の絵です。
江戸時代中期の京都出身の画家で、異能の画家と言われていますが、この人の作品の中でもその異才ぶりを一番強くリアルに感じるのが、一連の”鶏”を描いたものです。
庭にたくさんの鶏を飼い、一年ほど観察だけを続け、その後その絵を次から次へと描き続けたそうです。
普段我々が思う鶏と比べ、若冲の残した”鶏”たちからは、怖いほどの生命の輝きと力が溢れ出していて、一度見たら忘れられない姿で描かれています。
・・・というわけで今回は、以前このページでも触れた「広重」と並ぶ私にとっての”スター”日本画家である、伊藤若冲の話をしてみたいと思います。

“異能の”と名前に付いてしまうのは、生み出した作品の質によるところは勿論なのですが、その経歴にも理由があるのかもしれません。
現在も京都の台所として有名な、錦市場の青物問屋の長男として生まれ、普通なら”八百屋の旦那”として一生を終えるはずだった所が、絵を描くこと以外に全く興味も才も無かった彼は、本業から逃げる様に失踪したりもしつつ、三十路少し前にやっと絵の勉強を始めます。
初めは狩野派に就いて学んでいましたが、しばらく後そこも飛び出し、あとは独学とひたすら対象を観察して描くことで、その”異なる”天賦の才を開花させてゆくことになったのです。

そして、若冲紹介の中で必ずと言う程登場するのが、『動植綵絵』(様々な動・植物が精緻な筆致で描かれている全三十幅の作品群)です。
それらは一言で言えば・・・とにかく「すごいっ!!」に尽きます。
本当に色々な意味で凄いと思います。
技巧的にも、取り上げている対象物にしても、色彩、緻密さ、構図・・・どれをとってもうならされます。
その中に、前述の鶏の絵も出色の出来で存在するのですが、私はその他の作品で、普通その時代の画家達が取り上げなかった、絵のモデルとしては一般的とは言えない対象を描いているものの方が格段に好きです。
個人的には特に、「蓮池遊魚図」と「池辺群虫図」が群をぬいていると思います。
この二枚は、私の中の日本画への概念を覆すような空気をはらんでいて、”渋さ”よりもそこに漂うのはあくまで”楽しさ”だと思えてなりません。
他にも犬好きの人にお薦め(?)の「百犬図」の様な、見ているだけでなんとなく”にへっ”となってしまうような作品もあります。
他にも、型破りな”升目描き”アプローチをした「樹花鳥獣図屏風」(若冲筆かどうか確実ではないらしいが)という意欲作があったり、禅に帰依していた若冲に縁の深かった、京都・相国寺に残る芭蕉図(障壁画として鑑賞出来る)などは、まるで現代の空間デザイナーが手がけたのかなと感じるほど、水墨画でありながらモダンで不思議なな魅力があり、思わずその場で”楽園”にいるかの様な感覚におちいってしまいました。
また、石峰寺に残る五百羅漢の石像(デザイン)などなど、当時の画家としては、なんとも驚くべき斬新な精神が宿る創作が多く残されていて・・・とにかく、”目からウロコ”な作品が多いこと多いこと。

現在、世界最大の若冲コレクションを有するのは、アメリカ人ジョー・プライス氏のコレクションによる、ロサンジェルス郡立美術館内の日本館だそうです。
日本でもっともっと認知されていてもおかしくない若冲作品なのですが、当時から世間の評価としてはそこそこだった作品の数々を、氏は、世の中の声よりも自分の信じる価値観のみを信じてこよなく愛し、集めまくったそうです。

いつの世でも”斬新なもの”や”新しい表現・試み”といった要素を含むものというのは、とかく初めは認められず、また、戸惑いと共に正当な評価を得られず、時間を経て理解されるといったケースが多いように思います。
例えば、印象派のモネやゴッホといった画家たちですら世に出てきた当初は、数少ない理解者はいたのでしょうが、サロン(当時のフランスの権威ある画壇)で物笑いのタネにされ、時間を経てやっと現在の地位を得たというのは、あまりに代表的な例でしょう。
そして、やはり当時の日本では芸術として高い評価を得ていなかった浮世絵や一部の日本画の持つ独自性や斬新さが、海外のアートにも多大な影響を与えてきた様に、今後も日本人としての”独自性・個性”といったようなものが色々な分野で問われることでしょう。

「隣の人と同じでないと不安」といった気風も、日本人独特の美徳へ繋がるものではあるのでしょうけれど、それを上回る独自性や個性を育て、自分を信じる力を磨いていくことも大切なことではないかとも思うのです。
特に若い方々には、こうした文化の素晴らしさに誇りを持って頂き、日本人としての確かなアイデンティティを基盤において、世界へ出て行ってもらえたらなぁ・・・と期待しています。

笹倉 鉄平

2004

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