フィレンツェ個展、ご報告(前回”速報”の続きです)

フィレンツェでの個展も、多くの方々のご協力と皆様の応援に支えられ無事に終了し、ようやく肩の荷を下ろすことが出来ました。
直後は、大げさに言えばちょっとした放心状態に近い状況でおりましたが、滞在中に束の間の休みをとることも出来ましたし、気力回復後は毎度の如く、制作の為の旅をしてまいりました(その話はまたの機会に・・・)。

少し前に帰国していたのですが、個展の事後処理や溜まっていた用事を片付けながら時差調整などをしていた為何かと忙しく、このページに個展の報告をするのが少々遅くなってしまいました。
今はすっかり普段の制作モードに戻っております。
しかしながら、カレンダーに目をやれば・・・「今年もあとこれだけしかないのか!!」と、驚き慌てあせり気味になったりしましたが、帰国後の軽い”浦島太郎症候群”的な症状には、現実にグッと引き戻される良い薬でもありました(笑)。

さて、話を戻しまして、フィレンツェでの個展のご報告の続きをしておこうと思います。
8月の末頃に現地入りし、日本からの作品や備品などのチェックを行い、まずは一安心したものの、フィレンツェの街角で個展告知のポスターや横断幕を見てはハタと緊張し、会場でのパネル設営の順調な進展状況にはまた安堵し、翌日、会期前日だというのに係の方がそのパネルにまだペンキ塗りをしているのを見てまたまた不安になり(超速乾性ペンキだったので勿論大丈夫だったのですが)、自分は自分で、パネルの長さの都合で、当初考えていた通りの順番に作品を展示出来ず、かなり考え込んでしまった結果、時間が押せ押せになったりと、気分的には上を下への大騒ぎ(笑)だったかもしれません。

それでも、マケドニア(旧ユーゴスラビア内)での自分の展覧会後、わざわざ手伝いに来てくれた画家の柏本くんをはじめ、協会の松浦さんや、現地レストランのシェフ三曳(みつびき)くんら関係者の献身的なご協力で、市主催のレセプションの時間までに、無事余裕をもって展示作業を完了出来ました。
その頃、丁度のタイミングで、フジテレビのスタッフの方々が会場に到着され、きちんと整った会場の様子などを取材して頂けました。

フィレンツェの個展会場で取材を受ける笹倉

ところで、このところ『昨年のような再現展はないのですか?』といった質問を、皆さんからお寄せ頂いているようです。
昨年と形は少々変わりまして、今回はフジサンケイグループのディノスさん(通販などでおなじみですね)の主催により、フィレンツェでの個展を日本で再現して頂けることとなりました。(11月半ばから、東京・名古屋・大阪にて)

また、現地では「il Corriere di Firenze」という新聞の文化欄にこの個展の記事が掲載され、それを見て多くの市民の方々にもご来場頂けました。
また、今回のテーマであった「姉妹都市であるフィレンツェと京都、西と東で文化の形や表現は違えど、人々の心の芯にあるものはそんなに違わない」といった事を、予想以上にちゃんと伝えることが出来たようで、何より嬉しく印象的でした。

両市とも、街の中を横切るアルノ川と鴨川という河をそれぞれに擁し、地理的には盆地で、”夏暑く・冬寒い”という決して恵まれていない条件を克服し、古くから各方面の伝統ある職人技が息衝いてきた、伝統ある古都です。
考えれば色々共通点は多いのですが、そんな中最も印象的なのは”人の気質”が似ているように思える点です。
特に、外から入って来る新しいモノや、価値観が違うモノなどに対する凛とした姿勢などにそれを感じます。

外側から、経済的な大きな流れが入ってくると、街は短い時間でどんどん現代的な姿に変えられていってしまいます。
つまり、伝統ある昔ながらの小さな店や、家族で営む職人さん達というのは、そういった大きな流れに抗えず押し流されざるを得ないものです。外から流入してくるものに対して、時には厳しい目で注視し対応していかないと、伝統ある美しい古都の姿は守れないということなのでしょう。

古くから続く習慣やしきたりがひとつ無くなるだけでも、それに付随していくつもの大切な”何か”が失われてゆくのが現実です。
だからこそ、何でもかんでも手放しで受け入れてゆくことに対して、危機感を持つことが必要だということを示すその姿勢に、拍手を送りたいと思うのです。
反面、外来の新しいモノには、生活を楽しく新鮮にしてくれる側面も無論あり、それも重要であるわけですし、”利便性”を筆頭に、現代を生きてゆく上で必要不可欠な要素も多々ありますので、一概には判じられない非常に難しい問題であるとは確かに思います。

しかし極端に考えると、”経済性”や”利便性”だけを考慮無しに最優先すればするほど、世界中の街の個性は無くなってゆき、どこも似たような姿になっていってしまうのではないだろうかと想像しては、勝手に心配してしまうのです。
京都市内でも、多くの町家の姿が消えゆきつつある中、その独自の造りを活かした飲食店や店舗が人気を得て”町家ブーム”なるものが起きつつあることは、ある種喜ばしいことだと思います。
そういった部分で、新しいものを受け入れる際に、常に”街の個性(=心?)”を大切に守りながら消化し、更に地場に根付かせるやり方の巧みさは、京都・フィレンツェのみならず、歴史ある古都の誇りを守り続ける市民たちに、それぞれ共通するDNAのなせる技なのかもしれません。

イタリアでも各地で「フィレンツェ人は”排他的(?)”」風な発言を耳にしたことがありますし、日本でも、京都の住人というと、同じようなことを言われているのをやはり聞いたことがあります。
そういったことを見聞きする度に、上の様な理由から、むしろ”そうあって欲しいし、それが正しい”と、最近は思うようになってきました。

そして、この両都市のみならず、世界各地の大小様々な古都の魅力というのは、決して”歴史の古さ”だけに止まらず、まさにその”個性”の部分でもあり、そこに惹かれ、それを楽しみたいからこそ、多くの人々が訪れるわけです。その”個性”を上手に守り、アピール出来ている所ほど成功した街(や村)になっているのだと思えてなりません。(例えば、日本の決して古都とは言えない観光地などでも、そういった独自の個性や伝統を守る努力が見える所ほど、観光的には成功していると感じませんか?)

もしかしたら、こういったことは、人や他の分野でも似たようなことが言えるのかも・・・などと考え出すと、終わりがみえなくなってきます。この辺で止めておきましょう、自分には文化論的な話は似合わないことは、よくわかってますから(笑)。

笹倉 鉄平

2005

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